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! 第325回:いぃDay!山岳会日本支部登山のご報告(高尾山敗退顛末記) 2014年2月16日(日) 行き先【高尾山の裏あたり】 コースタイム:
タイトルは「高尾山敗退」顛末としているが、正確には「雲取山(登る前から)敗退→九鬼山(登る前から)敗退→小仏峠(噂を聞いただけで)敗退→景信山(先達者ラッセル中につき)敗退→高尾山(先達者ラッセル中につき)敗退」という、非常に長い顛末である。(個人的に)高尾山で敗退したのも初めてだが、いっぺんに 5 つの山(&峠)を敗退したのも空前絶後の出来事。2 週続けての大雪で、山ノ神の怒りは尋常ではないと感じ入る。今年は雪でもうお腹一杯だ〜、という呟きが全ての災いのもとである。ふと思うのだが、昨年末、雪が積もりそうにないという予測で、丹沢/高松山を袖にしてお坊山に行き先変更したことが、高松山に坐す山ノ神の怒りを買ったに違いない。 当日に至るまでの経緯は以下の通り。 1 月 23 日 行き先を雲取山として 15、16 日の計画を案内。 2 月 08 日 第 1 次大雪(東京では 45 年ぶりの 27cm。雲取山荘付近では更に 60cm 積もって、合計 112cm になったとのこと。) 2 月 10 日 大雪に恐れをなして、行き先を雲取山→九鬼山に変更し、予定期日も 16 日(日)とした。 2 月 14 日午後〜15 日午後 第 2 次大雪(東京以東では 15 日午後は雨。積雪量は下記の通り) 甲府 114センチ、河口湖 143センチ、前橋 73センチ、熊谷 62センチ、秩父 98センチ (2 月 15 日 23 時現在の気象台データより。ちなみに、御岳山では新たに 150cm 積もったとのこと。) 2 月 15 日 富士急行線の不通は暫く復旧できそうもないとの判断により、再度行き先変更(当日判断に委ねる)。 関東甲信地方におけるこの 2 週連続の歴史的大雪は、(地域経済への影響も勿論甚大であるが、)多くの登山者のプランを狂わせたに違いない。昨年の同じ頃、大した雪に恵まれず、残念に思っていたことが懐かしいくらいだ。今回はそもそも、雲取山に未だ登ったことの無い人達のリクエストに応えようと計画していたのだが、2 月 8 日の第 1 次大雪を受けて、つぼ足 or アイゼンでは雲取山三峰ルートは全く歯が立たないだろうとの予想のもと、行き先を(9 日のマンマミーア山行が中止になった)九鬼山に変更した。勿論、この時点で 14、15日の雪 or 雨の予報は出ていたので、決行日は天気が回復する 16 日にしようと目論んだ。予報通り 14 日(金)から降り始めた雪は、15 日(土)になって千葉や埼玉、東京の東部地域は雨に変わったが、中央線沿線、青梅線沿線は未だ雪が降り続いていた。交通情報を調べてみると、富士急行線は全く復旧の目途がたたないとのことで、その時点で九鬼山もあっさり断念、ただし他の山へ変えるにしても、交通手段が確保できるかどうかが全てなので、当日、駅で決めようと、4 人が八王子に集合(当日朝、南武線がよりによって人身事故により、のんちゃんは横浜線経由で登場)。その時点で青梅線は青梅から先が不通、中央線は高尾以西が不通、京王高尾線が午後開通の見込み、との情報を確認し、消去法で高尾山に決定。ちなみに京王や西東京バスの路線バスも全滅。秩父鉄道、西武秩父線も不通だった。 高尾駅に着いてみると、意外に多くの登山客が駅前に屯している。これでは普段の休日と大差ない。結局、せっかく天気が回復したので出かけてはみたものの、他に行ける山が物理的に無く、自然とみんなここに集まってきたようだ。行動パターンに選択の余地が無かったという訳。高尾山は、吹き溜まりのような、聖と俗の狭間のような場所にあるらしい。駅前のバス乗り場の屋根は、雪の重みに耐えかねて思い切り拉げている。積もった雪の量は、東京東部とは明らかに違う。甲州街道に出てみると、車道には車の姿はほとんど見られず、多くの歩行者が車道を歩いている。除雪もまだまだ不十分で、これではバスが運行できるはずもない。この先、周辺の民家や商店では雪掻きの真っ最中で、騒然とした雰囲気。車のガレージの屋根が潰れているのを何か所も見た。所々で、ようやく重機を使った除雪も始まった段階。ここはある意味、被災地と言えるわけで、高尾山に向かって進む(我々を含めた)登山者の群れとの間に、なんとも言いようの無いアンバランスさを感じる。 大半の登山者は甲州街道を高尾山口方面に進んでいくので、我々は旧甲州街道を小仏方面に進み、峠に上がろうと考えた。結果的にこれは楽観視しすぎの判断ミス。多少でも人が少ない方が楽しめるという、いつもの方針に拘りすぎて、この文明開化以降、太平洋側では初めてという大雪の凄さを未だ十分認識できていなかった。高尾山口方面に行っていれば、少なくとも高尾山山頂には辿り着けたはず。たまには、長いものには巻かれろ、ということか。ともあれ、駒木野、摺指、日影と通過し、小仏 BS に到着。バス広場にはテントが 2 張りあり、食事中の若者達と挨拶。日影キャンプ場に入れなかったので、やむを得ずここにテントを張ったとのこと。まー15 日に、よくぞここまで来たものだ。 小仏製作所から先は重機による除雪が無く、か細い人力トレースのみ。それでもあるとないとでは大違い、ちょっとトレースを外すととたんに股下までがぼる(福井語)。有難くラッセルを拝借(≒泥棒)する。景信山への分岐で、先行していた単独行氏が、景信山方面はこのようにちゃんとトレースがあるが、小仏峠方面は一人だけのトレースで、しかも途中までしかない、とのたまう。端から他人のラッセルを当てにしてきている我々としては、何ら情報の信憑性を疑わず、素直にご説に従って景信山へと行先を変更。しばらく登っていくと、別の単独行氏が下りてきて、このすぐ先ではいま将に4人がラッセル中で、山頂に抜けるにはまだ2時間以上はかかるだろう、と言い残して下って行った。いくら厚かましくコバンザメ戦術をとるにしても、ラッセルに加わりもせず、ただ後ろからくっついて行くのは流石に気が咎めるので、あっさり景信山を断念し、代わりに高尾山へ直接登るべく、一旦戻って今度は日影沢林道を辿ることにした。 日影キャンプ場まで戻り、旧甲州街道を再び高尾駅に向かって歩き出す。するとまもなく、不通となっているはずの JR 中央本線下り線を、特急車両が音もなくやってきて、ゆっくりと通り過ぎていくのを目にする。車内は作業服を着た人々でいっぱい。きっと雪掻き部隊なのだろう、こんな光景を見るのもこの大雪ならでは。道々、行きにも出会った雪掻きをしている人たちから、いったい何処まで行ったのかと屡、問われる。途中で断念しました〜と答えると、皆さん、そうだろそうだろと納得顔。ちょっとだけ慰められた気分。高尾駅に戻り、さて何処か近くの店に入ろうと考えるが、大抵の蕎麦屋は 2 時で昼の部は終了だ。そこで「困った時の玉河」に入るべく、立川へ移動。昼下がりにもかかわらず呑兵衛達で生憎ほとんど埋まっていたが、親切にも席を譲ってくれた(カウンター席に移動してくれた)人がいて、運よく座ることができた。山の自然に撥ねつけられて、人情に触れた一日だった。 今回の参加者:副隊長、なおちゃん、ヒロコさん、のんちゃん
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