コースタイム:
〈1日目〉JR東京駅[6:16](かがやき501号金沢行き:大宮駅6:42発)⇒JR長野駅[7:38/7:45](ワイドビューしなの4号名古屋行き)⇒JR松本駅[8:35/8:41](松本電鉄線)⇒新島々駅[9:12/9:30](アルピコ交通バス)⇒上高地BT[10:43/10:52]→河童橋[10:59/休憩/11:22]→明神館[12:02/12:08]→徳沢ロッジ[12:52]
〈2日目〉徳沢ロッジ[7:25]→横尾[8:35/8:45]→アイゼン装着[8:45/8:55]→休憩[9:20/9:23]→本谷橋[10:00/10:10]→休憩[10:42/10:45]→休憩[11:00/11:05]→涸沢ヒュッテ前[12:07/12:10]→涸沢小屋[12:20]
〈3日目〉涸沢小屋[6:35]→休憩[7:18/7:22]→本谷橋[7:35]→休憩[8:12/8:15]→横尾[8:37/8:57]→徳沢園みちくさ食堂[9:50/10:15]→明神館[11:05/11:10]→小梨の湯[11:45/12:45]→河童橋→上高地BT[13:05/14:05](アルピコ交通バス)⇒新島々駅[15:05/15:25](松本電鉄線)⇒JR松本駅[15:55]→東横イン[16:05]
〈4日目〉東横イン[7:45]→JR松本駅[7:55/8:15](JR大糸線)⇒JR穂高駅[8:43]→碌山美術館[8:57/10:09]→大王わさび農場[11:00/11:50]⇒タクシー⇒田舎家うどん・そば屋[12:10/13:05]→穂高神社[13:10/13:20]→JR穂高駅[13:33]⇒JR松本駅[14:01/14:21](松本周遊バス)⇒旧開智学校[14:50/15:45](松本周遊バス)⇒JR松本駅[16:00/17:00](あずさ55号新宿行)⇒JR立川駅[19:30]
トレイルマップ
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高度記録
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【1日目】
今年のゴールデンウィーク、残雪の山を楽しむ企画は「北アルプス」。標高1562mの徳澤から2677mの蝶ヶ岳に登った後、涸沢カールを楽しむプランだ。参加者は8人。
長野駅から乗った「しなの号」松本から松本電鉄で新島々へ。ローカル線の線路の規則正しい繰り返し音が懐かしい。窓から見える常念岳はひときわどっしりと存在を主張し、枯れた田んぼの広がる盆地を見下ろしている。アルプスの玄関口、新島々からバスに乗りかえて上高地へ入る。
上高地の河童橋では、お決まりの景色。前は穂高連峰、ふり返って焼岳を楽しんだ。六百山の上から照らす太陽にはハロ(丸い虹)がかかっていた。「天気は下り坂かぁ。」メンバー皆、腹ごしらえをして徳澤へ向け出発した。
1時間ほど歩いた明神館の近くでは、そびえる明神岳が出迎えてくれた。今日の目的地、徳澤はさらに1時間先だ。途中、梓川沿いを明神岳の東稜、長七ノ頭を見ながら緩やかに遡る。前穂高の右下に茶臼ノ頭が見えてくると徳澤はもうすぐだ。左手の明神岳の南稜に連なってサメの歯のような前穂高岳の北尾根が全貌を表す。一番高い前穂高岳山頂が1峰で、そこから屏風ノ頭に向かって2峰、3峰…8峰と続く。3・4のコルの右、やや四角っぽいのが5峰、5峰と6峰の間が5・6のコルだ。副隊長とヤマショウビン氏は高校2年の時に、今見ている裏側の涸沢カールから5・6のコルに上がり、トラバース気味に下りて正面壁から前穂にアタックする予定だった。しかし偶然他のパーティが滑落者を救出している場に遭遇した。結局正面壁は避け、さらに巻いて明神と前穂の間にあるA沢から前穂高岳に登ったそうだ。オーバーハングしている大岩壁を前に、聞くだけで身震いがしそうな話だ。穂高連峰が、山歴45年を数える副隊長の「岩登りの原点」ともいえるのだから、私達「にわか山ガール」はおしゃべりを謹んで、厳粛な気持ちをもたなければ!
さて、広い河原の右手、樹林帯に入ると本日の宿、徳澤ロッジが見えてきた。チェックイン後、まだ時間が早いので、新村橋まで散歩に出かけた。テント場の先の長塀尾根登山口を確認し、徳澤園を懐かしいなと思いながら通り過ぎ、15分ほど歩くと新村橋に着いた。かつて井上靖が徳澤園に滞在し、小説「氷壁」を執筆したのは有名な話だ。主人公の魚津恭太が前穂高東壁にアタックする時に通ったのがこの新村橋だ。
宿に戻って明日の準備をしつつ、昼間に河童橋で見たハロを思い出した。天気予報を調べていた副隊長が、「明日が昼から雨、明後日にかけてずっと悪天候らしい。蝶はやめておいた方がいいかな。」と言った。午前中は雪が締まっているから、蝶ヶ岳までの標高差1100mは何とか登れるだろう。しかし、翌日大雨でずぶずぶの雪道を標高1620mの横尾まで1000m下り、さらに標高2309mの涸沢小屋まで700m登るのだ。2年前に残雪の守門岳の標高差1100mをピストンしたが、こんな悪天候ではなかった。しかも下りてまた登り返すのは無理では。結局協議の上、明日は横尾経由で涸沢カールまで上がるだけになった。<徳澤ロッジ 泊>
【2日目】
朝食後、出発。横尾まで1時間歩き、吊り橋を渡って涸沢の登山道に入った。副隊長の足が速いので、先に行ってもらって、女子隊7人は、ゆっくり登ることにする。そそり立つ屏風岩を左手の木の間に見ながら、大きくカーブする涸沢に沿って進んでいく。たまに後ろを振り返ると谷間に長塀尾根、蝶ヶ岳、蝶槍ヶ岳と、少しずつ見える山が移り変わっていく。
雪道であるにもかかわらず、ほぼ1時間で本谷橋に到着した。橋はすっかり雪の下。夏はこの写真のようだった。夏道は、橋を渡ってから右岸の高い位置を進む(ベンガラの⇔印が夏道の方を示していた)が、副隊長の進んだ沢の真ん中を進むことにする。
だんだん傾斜がきつくなる場所もある。一歩一歩確実に、踏み固められた歩きやすい所を選び、かつ急登過ぎないように傾斜を考えて登っていく。本谷橋から涸沢小屋まで2時間20分、みんなよく歩いた。
涸沢小屋に着いたのが早めだったので、大部屋「岳」での布団の場所も一番奥。乾燥室も混雑する前に粗方乾かすことができて助かった。小屋は涸沢カールのお椀の北端に位置しており、談話室から見ると前穂高北尾根がカールの底をはさんだ向かい側にそそり立っている。昨日徳澤側から仰いだ北尾根を、今日はカールの内側から見上げている。5・6のコルまでのルートを目でたどり、物言わぬ岩壁に圧倒された。前穂高の右手奥には穂高に続く岩稜、更に右には11年前に登ったザイテングラードが半分雪に埋もれ、その時に登れなかった涸沢岳がカールを見下ろしている。この景色を肴に「秋の涸沢カールも見てみたいね」などと話しながらワインと日本酒を味わった。<涸沢小屋 泊> (by この)
【3日目】 平成最終日
新雪が20cmほど積もって、まだまだ降り続いている。
朝食時には長野県警の山岳救助隊の隊員が訪れ、「雪崩の危険があり遭難者も出ている。今日は上に登るのは断念するように。」との警告があった。本日は下山するのみの計画ではあるが、緊張が走った。早い時間のうちに、さっさと下山するものと決め込んで、慌てて支度を整えたが、副隊長としては、ある程度踏み跡ができた頃合いをみていたようだ。
さて出発。向かいの前穂の峰はすっぽりと雲の中。風が無いのは助かる。どんなに寒く怖い夜を過ごしたことだろうと思いながら、涸沢カールのテント場の横を過ぎ、いよいよ谷の真ん中にステップイン!先頭のなおちゃんの踏み跡を慎重に辿っていく。みんな無言・・・。ただひたすら一歩一歩を踏みしめる。
耳にはササササ・・・と雪がかかる音が聞こえる。と、突然ゴオーーーーと雪崩の音が響く。ハッとして上を見上げると雪煙が上がっている。怖い怖い!しばらく留まり雪崩の治まりを確認したあとに歩き始める。雪崩の音は遠く近くに繰り返し聞こえる。ただ無言に歩く。
副隊長、なおちゃん、このちゃんは時々尻セードにチャレンジしていたが、私は全然楽しむ気持ちの余裕がないまま、ただ一歩一歩歩むだけだった。
45分程で屏風の頭を見上げる辺りにまで下りてきた。雪崩の跡(デブリ)が間近にあり、上の方ではまた雪崩の音と雪煙が上がっている。(副隊長に後で聞いたところ、今回私たちが聞いたゴオーーーという音はまだまだ小さい雪崩の音であり、本当にこわい雪崩はドオオオン〜〜〜と爆音であるようだ。)
さらに20分ほどで本谷橋に辿り着いた。思いの外早いペースで下りて来られた。雪の谷道を故障なく下りてこられたことに、ちょっと安堵。山を振り返り、「ありがたや〜、また来るね〜」と念じた。ここから樹林帯に入る。横尾までの道のりはとても早く思われた。
横尾の吊り橋前でアイゼンを外し、緊張が解かれた〜〜〜!
副隊長は横尾山荘での休憩を期待していたようだが、オープンに早かったため次の徳沢園へと早々に出発してしまった。残された女子隊はマンマミーア山行気分。ようやくおしゃべりも出てきた。(笑)
木々の間に前穂高の峰々を眺め、徳沢園に到着。冷えた体を温めるうどんや飲み物を思い思いに摂っている間に、副隊長はまたまた早々に出発。女子隊は気持ちを新たに副隊長との合流地小梨平を目指す。
徳沢園から明神館までの間、「木々の間に見える山が前穂高から明神岳に変わるポイントはどこ?」と言いつつ歩いていたのだが、結局わからず仕舞いだった。
明神から先には観光客も多い。ドロドロ、グチャグチャ、ツルツルの道を恐る恐る歩く足元が白やキャンパス地スニーカーだったりするのを見て、気の毒に思った。その後小梨平キャンプ場でさっと入浴を済ませ、副隊長と合流してビールで乾杯した。
一服の後、上高地に戻って来た。穂高と河童橋と梓川とのコラボのこの地は、心を捉えて離さない魅力にあふれている。あ〜美しい!きっとまた来るよ〜!!!天気の悪化により蝶ヶ岳アタックは断念し、山の行程を短縮したため、この後松本で一泊し、最終日は松本界隈の観光という予定に変更してある。元々3日で下山する予定だったアヒルちゃんと菊丸とは、バスの時間の都合で一旦小梨平で別れたが、結局、残りのメンバーも上高地発の同じバスを取ることができて、松本まで同行した。<東横イン松本駅前本町泊>
【4日目】 令和初日
連休中にも関わらず、6名が松本のビジネスホテルの個室で過ごすことができて、本当に助かった。濡れたアイゼン、スパッツ、ザックなどを部屋中に広げて、乾かすこともできたし、セミダブルのベッドで気楽に寝ることができた。
最終日は大糸線穂高と松本の観光。
まず碌山美術館。力強いブロンズ像の感動はもちろん、明治時代に留学してロダンと出会ったことが彫刻家に転身したきっかけとなったということ、新宿中村屋との関係などに興味を引かれた。
大王わさび園までの道のりをぶらぶら歩き、麦畑やわさび園などの田畑の眺めが楽しかった。大王わさび園では、広さと観光客の多さにびっくり。これで晴れていたら、山とわさび田とはどんなに美しい景色であったろうかと思う。
穂高駅前に戻ってお昼に入った蕎麦屋さん「田舎家」は、副隊長が高校時代に「みそ煮込みうどん」を食べた思い出のお店であった。
昼食のあとに穂高神社に参った。明神池にはこの穂高神社の奥宮がある。「令和」時代の始まりに願いを込めて・・・。令和初日のご朱印をいただいたメンバーもいる。
松本に戻ったあと、旧開智学校を見学した。和洋折衷の魅力が随所に見られる素晴らしい建物ばかりでなく、明治以降の教育資料が興味深かった。「令和」記念の展示物として、万葉集の展示もあった。
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」
令和時代も、四季折々の美しい自然やその土地の文化や美味しい食に触れ、山行を存分に楽しんでいきたいと思う。 (by のん ) \(^0^)/
今回の参加者:副隊長、なおちゃん、ひろちゃん、菊丸、アヒルちゃん、のんちゃん、のりちゃん、このちゃん
実働時間:11時間10分(2時間+4時間10分+5時間)
累積登高差(+): 踏破距離:〈2日目〉9.8km 〈3日目〉15.2km
☆ 昼食にはこんな店
☆ 宿に着いたら・・
☆ 散歩帰りにこんな店
☆ 1日目に泊まったのはこんな宿
☆ 2日目に留まったのはこんな宿
☆ 山から下りたらこんな店
☆ 風呂から出たらこんな店
☆ バス待ちにはこんな店
☆ 打ち上げ第一弾はこんな店
☆ 3日目に泊まったのはこんな宿
☆ 打ち上げ第二弾はこんな店
☆ 一休みにはこんな店
☆ 帰りに乗ったのはこんな電車
☆ 打ち上げ第三弾はこんな店
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